• エッセイ

記憶の中の東京 #01 ー浅草 三社祭

記憶の中の東京 浅草 三社祭

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「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」

そう言われても、踊ってる自分を見られるのが恥ずかしくて、みんなが興奮しているところを冷めた目で見る子供だった。

例年5月第3週の週末に行われる三社祭は、浅草の有名な行事でまず一番に名前が挙がるお祭りだ。2019年では3日間で198万人もの人手を誇る。

浅草 三社祭 お祭り 東京 

「浅草の人は三社祭のために生きているところがある」と言われるけど、地元のわたしからしてもおおむね同意する。ふだんは無口な父も三社祭の日はべらぼうにテンションが高い。

わたしはと言えば、小学校の頃はなんとなく町内会のお囃子に参加し、半纏を着て屋台の上で太鼓を叩いていた。毎週水曜日の夜はお囃子の練習で、毎日通ってた学校の体育館を貸し切ってお祭りの練習をする。

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正直に言えば、上手になりたいという意識は全くなく、お囃子のメロディが好きかと言われると明らかにふつうのポップミュージックの方が好きだし、メロディを奏でる方が好き。

でも、わたしが通っていたお囃子の最初の一歩は和太鼓から練習し、他の打楽器をマスターしたのちに笛を吹かせてもらえる。リズム隊より旋律に惹かれるものの、笛奏者への道のりが長すぎて、はなから諦めていた。

練習して上手になってお祭りを盛り上げようという気は無く、練習の合間に夜の体育館を好きなように遊べるのだけが楽しくて通っていた。体育館のマットに寝転んだり、友達と走り回ったりしているうちにあっという間に練習の時間は終わる。

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そんな調子で気付けば三社祭当日になり、地元の大人たちが人力で引く屋台に乗せてもらいながら、同年代の友達と太鼓を叩いた。はじまる瞬間はゆっくりとしたテンポで、徐々に一定の速度を保って同じリズムを繰り返す。ぶれぶれの子どもたちの太鼓を支えてたのは、紛れもなく熟練のお姉さんやおじさんのリズム隊だった。

町内会の神酒所(神輿が休憩する場所)を出て、決められたルートを周り、仲見世を通って浅草寺の裏へ向かう。観光客が群がる様子を屋台の上から眺めるのが好きだった。太鼓の出番が来るまでは、屋台の前や後ろについて一緒に歩く。見る側ではなく、やる側だったからこそ見られた景色があった。

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なんのためのお祭りなのか、どうしてそんなに大人たちは盛り上がれるのかは分からないし知ろうともしなかったし、小学校を卒業してからはどんどんお祭りと距離を置くようになっていった。

大人になり、家を出て、浅草だからこそ楽しめた賑やかなお祭りの楽しさを思い出し、気まぐれにふらっと遊びにいっては、遠巻きに家族や親戚が神輿を担ぐ様子を見に行く。

久しぶりに会うと、親戚でも人見知りを発動してしまうわたしはギクシャクとしながらも、実は楽しんでいる。

10年ぶりくらいに偶然会う友人と「全然、変わらないね」なんて近況報告をしながら町内神輿を追う。次に会う約束なんてしなくても大丈夫。また来年、きっとお祭りで会えるから。

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ああ、そうか。神輿を担いだりお囃子に参加するのは今でもあまり興味がないけれど、遠くて近い来年の同じ時期にまた同じ顔ぶれが一斉に見られる。大人になってから、その時間がいかに貴重で大切かが身にしみてわかった。

今年の三社祭は10月16・17・18日に行われるとのこと。その時には、今の現状が収まってるといいな。みんなが楽しみにしているお祭り、どうか無事に開催されますように。

三社祭について

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三社祭について:浅草神社奉賛会 三社祭公式情報

三社祭の起源について:三社祭を読み解く:お寺、神社、そして祭りの不思議な縁(えにし)

記憶の中の東京、はじめます

東京の風景をエッセイで綴ってみようと思います。とある街で起きた出来事から、忘れていた思い出を書き留める実験企画。できれば、ほぼ毎日22時に更新したい(予定)

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