• エッセイ

矛盾について

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矛盾が嫌いだ。

補償も充分でないままの自粛で、大好きな店のことを思うと毎日胸が痛い。「来て」と言いたいけど言えないというつぶやきを見たり、店の人の葛藤を耳にすると苦しい。

客である立場のわたしたちは、応援したいけど行けない、応援したい店がたくさんあって手が回らない、応援する手立てがわからない、その応援も果たして効果が見込めるかわからない、と無限のループに苛まれる。なにもできない自分を責めたくもなる。

心の内を吐き出せるうちはまだいいのかもしれない。何も言えない人ほど実はストレスを抱えているのではないだろうか。行動に移せる人がまぶしいし、できればそうなりたい。

でも、自分の足元だって危うい中、できることは限られている。行動することが全て正解とは限らない。毎日なにができるかな?と考えるけど、正解は見つからない。

この状況の中でなんとかストレスを抱えないように、地味な暮らしの中にささやかな幸せを見いだし、「なんだ、家でも充分楽しめるじゃん」と本音と強がりが混じり合ったまま今日も夜を迎える。

不安と向き合いすぎず、今だからできることを見つけ、楽しいことを伝える。やるせないニュースを見たらSNSから離れる。動向を横目で見つつも、直視しすぎないことでなんとか平静を保っている。

 

人間味のある矛盾は好きだ。

たとえば、すごく人見知りだと思っていた人が、自分の得意なジャンルの話になるととめどなく話し続けたり、穏やかに見える人の中にブレない軸の片鱗を見つけたり、きらきら輝いて見える人が圧倒的に孤独と戦っていると知ったり。

矛盾とは呼べないかもしれないけど、そういう相反する要素に惹かれることが多い。見えているのはただ一部だったことにハッとする。

 

でも、最近感じる矛盾はどうだ。

言い逃れしようのない、ただ我慢を強いる矛盾。崩壊しかけた日常を見るのは心がつらい。

好きな店へ大手を振って出かけたい
あたらしい服を着て、大好きな店のあの人に会いに行きたい
ライブへ行って楽しく踊りたい
劇場で物語やコントの世界に引きずり込まれたい
ただ、友達と喫茶店でコーヒーでも飲んで世間話をしたい
家族と行き当たりばったりの旅行へ行きたい
早起きして友達とフォトウォークしたい
目的もなくふらふらと散歩したい
本屋で、買おうと思ってた本じゃない本を5冊くらい衝動買いして、帰り道で本の重たさににやけながら帰りたい
わき道へそれて、思わぬレトロなビルを見つけて興奮したい
まだまだ知らない街を見てみたい
想像し得なかった世界を、自分の足で見つけたい

予測できないことはこわい
でも全てが想定内はつまらない
偶然の出会いがあるからこそおもしろい

いくらオンラインで買い物ができ、配信で家にいながらライブもお芝居も見られるようになったとしても、外へ出かければ予測不可能な出来事があるから、その場で感じたい。たとえば、偶然隣同士に座った人と話が盛り上がったりだとか、偶然素敵な店を見つけただとか。

 

そんな、日常の楽しみがどれほど戻ってくるかわからないけれど。なんの役にも立たない応援しかできないかもしれないけれど。

矛盾を飲み込まず、きちんと見据えて、できる限りのことをする。無理は絶対にしない。無駄に悲観しすぎない。地に足をつけて、前をじっと見つめる。

それは、わたしが大切にしていた日常を取り戻すために、一番必要なことだから。

 

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