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かもめと街 エッセイ

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ただ、散歩したかっただけなのである。

それなのに、こんなに落ち込むことになろうとは。

とある3連休の最終日。適当に作った明太カルボナーラ卵黄のせパスタを食べながら、鬼滅の刃・遊郭編を観ていた。

主人公・竈門炭治郎(かまど たんじろう)の妹である禰豆子(ねずこ)が敵と戦うシリアスなシーンだ。

強敵への憎悪から、遂に第2形態へ変化を遂げた禰豆子は、バッファローのような角が生え、体がむきむきと変化し、その変化に耐えられなくなった着物は張り裂け、急に胸の谷間までばちーんとご登場。そもそもこの子いくつなんだっけ、と動揺する。

「兄ちゃんと姉ちゃんは似てる。悪い大人たちに立ち向かって、大切なものを無くしそうになる」と、すでに亡くなった弟の声がどこからか聞こえる。炭治郎の家族が登場するシーンはいつも自動的に涙がこぼれる。

 

パスタを食べ終わり、1時間だけ散歩しようと外へ出た。

ジョギングをする人、犬と散歩中の人、そして成人式の着物を召した新成人とその家族にも遭遇した。遠隔でおめでとうを送る。おせっかいだけれど、わたしのカメラで撮ってあげたいと思わざるをえないくらい、いい後ろ姿だった。

 

柳橋から降りて、隅田川テラスを浜町の方向へ向かう。目的地は決めない。

両国橋を過ぎたあたりで、6,7人の女の子たちがスマホから音楽を流し、ダンスの練習をしていた。

キレのある動きでNiziUを上手に踊っている子たち。その近くには、祖母のように見守るマダムが。ダンサーの子の保護者かなと思ったら、ふつうに見学者だった。

ダンスを眺めていたかったけれど、気が散るといけないなと思い、退散。

今日は、かもめも集団で水上会議を開いているようだし、謎の黒い鴨のような水鳥は何度も川の中に潜っては、シンクロナイズドスイミングさながらの、迷いのない潜りを披露する。

1,2分ほど姿を消したかと思えば、想定外のところからぱしゃんと顔を出す。どこから出てくるかわからないのは、まるでモグラ叩きのようなスリルがある。

 

のんびり歩いていると、船着場でしゃがむ女性を見つけた。薄いピンクのロングダウンコートの裾が地面に着いているのも意に介さず、一心不乱にスマホを水面の方へかざしている。

彼女の視線の先を辿ると、オレンジ色のウキの上にとまったダイサギ(たぶん)が。

首をきゅうっと縮めたり、伸ばしたりしながらこちらを見ている。足元はぷかぷかと揺れながら、体幹はぶれておらず、その佇まいだけでも見惚れる。

なにかあったときのために用意していたvlogのカメラを回した。5分そこそこで足が痺れて立とうとしたときに悲劇は起こった。

カメラに付属していた小さなアダプターが、音も立てずにするりと川へ落下した。

コンビニのビニール袋や菓子パンの袋が水面へ浮かんでいるのを目撃するたびに腹が立っていたのに、自分もモノを落としてしまった。落とした悲しみが何重にも重なる。

思い切り立ち上がったら、今度は持病の膝が疼くように痛い。ここ数日に立ち込めていた凹み案件もここまできたか。なんか、いいことないなあ。

 

ベンチに座り、冬の冷たい風を一身に浴びながら目を瞑る。

「外へ出る意味あったかなぁ」とぼやくと、「それは、一緒にいた人に対しても失礼じゃない?」と家族に言われる。

正論、正論、ほんとに正論。でも、今は正論不要。

 

もう少し励みになるような返事がほしいなと思っていたら、「今年は、嫌なことと良いことの割合が2:8になるよ」と当てずっぽうなパーセンテージが返ってきた。

帰り際、橋の上から川辺を見おろすと、すらりと背の高いアオサギが餌を狙っている。ほっそりと華奢な作りで、羽を広げると優雅。飛び立つ瞬間もふわりと舞うようで、いつまでも見ていたくなる。

 

とりあえず、この瞬間に出合えたのも、良いこととしてカウントしよう。そうすれば年末には良いことのパーセンテージが8割になるはずだから。

 

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