だから、毎日たのしく生きる。

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浅草育ちの街歩きエッセイスト。1981年生まれ。夫と二人で東京下町暮らし。 30代の女性に向けて「知られざる街の魅力」をお伝えする「かもめと街」を運営。 →くわしいプロフィールはこちら

急にいなくなった人に、ふと話しかけたくなることがある。

いつもそこで、心の空白がまだ埋まっていないことに気づく。

「まだ」と書いてしまったけど、時がたてば埋まるなんてことは絶対にない。

この空白と、多分これからもずっと付き合っていかなくてはいけないんだと覚悟している。

夏になるとどうしても憂鬱になるのは、急にいなくなってしまった人のことを数珠つなぎのように思い出すから。

せめてあの時に会いに行ってたら、とか、あの時に「おかしいな、からだ大丈夫かな」って気づいて声をかけていたら、とか。

結果的になにも変わらなかったとしても。

どうしようもできなくなってからそう思ったところで、何もできないわけで。

後悔をしても、今どうにかしようとしても何もできないし、忘れることもできないし、そもそも忘れたくなんてない。

四年前の初夏の仕事帰り、受け止めきれなかった思いが爆発して、毎日泣きながら駅まで向かった。

駅までの道のりは、正面から射す夕日が眩しくて、大きなマスクで泣き顔を隠しながら、堪えきれない気持ちを押さえ込んで歩いた。

後悔しかなかった。

心をどこかに置いたまま、なんとなく毎日をぼんやりとやり過ごした時期が続いた。

 

急に置き去りにされては困るんだ。

 

残された側は、あのときからずっと時が止まったままでいる。

いつの間にか、あの人の年齢も超えてしまっていたことにも気づいた。

会いに行くことも、気持ちを届けることもできない。

けれど、急に声をかけたくなる時がある。

不安が溢れそうなとき、頑張ろうとしているとき、楽しいとき、うまくいったとき、ダメモトでも新しいことに進もうとしているときとか。

そして今こうやってわたしが文章を書いていることについても。

今だったら、あの人はどんな風に言葉を投げてくるかな?と。

 

残された側のわたしたちは、毎日できるだけ笑って、後悔のないように楽しく過ごしている姿を見せる。

それだけで多分、

「ふーん、元気そうで、まあなにより。」

って思ってくれるような気がするから、毎日たのしく生きていようって。

思い出すたびに、そう思う。

せめて笑って過ごしていよう、って。

 

 

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