去年の暮れ、突然の悲しい知らせが届いた。
普段あまり連絡を取らない人からの一文を読んで、しばらく体が動かなかったのも当然の出来事で。
現実と捉えるには時間がかかる。ああ、もっと早く会いに行けば。もっと普通の話をたくさんしたかった。こんな後悔したくなかった。
夜ごはんを食べた瞬間、「こんな風に温かい食事をすることもできなくなったのか」と、箸が止まった。
数少ない思い出を頭に浮かべると、どれだけ優しくしてもらったことか、と涙が止まらなくなった。
それでも、翌日は大切な取材があって。
予定を調整することもできたかもしれないけれど、貴重な時間を空けてくれていること、それに、今やるべきことはきちんとやるべきだと思い、いったん気持ちに封をして、片道1時間半の電車に揺られた。
「大丈夫、今は切り替えよう」って。
仕事があるからこそ、今までもつらいピンチを乗り越えてきたから、今日は大丈夫。
そう願って目的の場所へ向かった。
「お待たせしました、今日のランチです」
そう言って出された、野菜のグラタン。こんがりとしたチーズの焦げ目と香ばしいかおりが食欲をそそる。
ひとくち食べて、丁寧に作られた味わいに心を奪われた。
あつあつ、トロリとしたホワイトソースのクリーミーな舌触りと野菜のうまみ。なぜか、食べた後も胃が重たくない。
ただ「おいしい」と味わうこと。
散漫になっていた心が一気に、今ここにある「ごはん」に集中する。
そのことが、哀しみややり切れない思いから、いったん自分を切り離してくれる。
「ふつうの料理をていねいに作って出しているだけですよ」
作っている人の気持ちが入っている料理は、自然と食べる側に届く。
ひとりで立ち上がれないときこそ、無意識のスイッチで心に魔法をかける。
自分ではない誰かが心を込めて作ったごはんのおかげで、腹の底から元気が沸くのを感じた。
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