• エッセイ

誕生日を迎える前に。

かもめと街 エッセイ 

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来月、誕生日を迎える。

一説には「不惑」と呼ばれる年齢だけれども、まだまだ全然毎日とまどってばかりいるし、胸を張って「大人です」と言えない。

きっとこれは死ぬまでずっとこんな感じなんだろうな、と最近は静観している。

「年取りたくない!」と言うと、下の世代の人たちに呪いをかけてしまうようでなんとなく嫌だ。

かといって「年取るのも悪くない」なんて言えるほど自分の年齢に納得できていない。いや、そもそも、納得できたことなんてあっただろうか。

でも、年を重ねたからこその嬉しい変化は、さらに年上の先輩であるマダムたちと気軽に話せるようになったことかもしれない。

「それ、そんなに美味しいんですか?」とついつい知らないマダムに話しかけてしまった。そう、ひとりでバラを見に行った旧古河庭園の売店での話です。

バラの羊羹を手に持ち、「これ、こないだ買って美味しかったから、今度は自分用とお友達に配る用に買って行くわ」と店の人に話すマダムの言葉に、食い入るように話しかけてしまいました。

自分の好みに合わなかったとしても、それはそれでいい。あんな風な言葉を聞いてしまったら食べたくなるのが人ってもの。口コミのパワーはおそるべし。買い物にエンタメ感が生まれる。

その後、ベンチに座り、バラ味のアイスモナカをひとりパクパクと食べていたら、また別のマダムから「それ美味しそうね」と話しかけられた。

こういうやりとりが心地よく感じられるのが年のせいだとしたら、年を重ねるのも悪くはないかもしれないな。

たった数十秒の間だったとしても、声を掛け合うだけで心が温まるような、そんなやりとりのプロフェッショナルはマダムに多い気がする。

「こんな風に歳を重ねたいな」の見本集めを続けていけば、もしかすると歳を重ねるのも嫌じゃなくなるのかも。

あ、こんな風にはなりたくないな、もそれはそれで大事かもしれない。

餃子の王将で極上の幸せを感じたときのはなし。

極上の幸せは、いつもの暮らしの中に

 

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