両親からの期待が呪いとなり、大人になっても苦しみ続ける主人公の姿。自分の人生の主役として我が道を生きる父、支えるしか選択肢がなかった母。孤独はたった一人のものということをそれぞれの立場から突きつける。求められている仕事と撮りたいものへの葛藤。撮られる立場への寄り添い方。
撮りたいものはとっくに見つかっているように見えるのに、周囲の声でかき消される。
誰の承認も必要とせず、彼自身が解放される日はきっと近いことを信じたい。
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2023年10月13日(金)晴れ
快晴。ようやく出歩いても心地いい風に包まれるような季節がやってきた。
それなのに、来月出す日記本の制作が佳境を迎えていて、いっこうに外へ出られない。
5月と7月の個展を終え、一気に新しいことをいくつも進行させた疲れ(もちろん楽しかったのだけれども!)と猛暑で夏の間は燃え尽きていた。なんもしたくなく、しばらく休んでいた。
休むことへの後ろめたさを感じつつ、もがいてもどうにもならない現状にうんざりしつつ、結局自分でなにかを始めるしかないことを悟った。
そうして最後の日記本作りに取り掛かったのだ。前倒しで立てていたスケジュール表はいつの間にか見なくなった。
ちょうど1年前の記録をまとめる。自分と対話し続けているようで頭が混乱する。
やらなきゃいけないことの締め切りが迫っていて、直前まで舞台のチケットを取るか悩んだけど、やっぱり観ておかねば! と思い立った。
久しぶりの信濃町駅。ここから神宮外苑を通って日本青年館へ向かうルートが好きだ。
緑あふれる遊歩道からは金木犀の香りがこぼれる。地面の案内タイルはレトロなフォントを銀杏の葉をモチーフにした飾り枠が囲ったデザイン。
そういえば、あんなに有名な神宮外苑の銀杏並木を一度も見たことがない。
どこかのドラマで観ただけで満足した気になっているけれど、今の東京の再開発の様子を見ていると、いつどこで何が起きてもおかしくないから、見られる時に見ておいた方がいいのかもしれない。
隈研吾が設計した国立競技場。建物自体は素晴らしいデザインだと思うのだけど、あれやこれやに思いを馳せると複雑な気持ちにしかなれないのだよな。
気持ちがいったりきたりしながら日本青年館へ到着する。前に来たときも吾郎さんの舞台だった。
多重露光とは、1コマに複数の画像を重ねて写し込むこと。
中判カメラのフィルムのコマ送りに失敗し、母子の家族写真に偶然映り込む主人公。撮りたいものは、自分が追い求めていた理想の家族像。どうもがいても自分には得られなかった温かな家族。子どもの頃に欲しかったそれらに、中年になった今でも苛まれる主人公。母からの呪いの言葉がフラッシュバックする。
戦場カメラマンとしてベトナムへ赴き、世界へ届けるための写真を撮る父。それを立派だと讃え、街の写真館を営む母。それは人生の主役として生きる夫と、いつか戻ってくると信じて一人で仕事と子育てをこなす妻の姿でもあった。夫に裏切られ、崩壊する妻。それを見ている子ども。
ほんとうに撮りたいもの。撮らなくてはいけないもの。撮る前に人間として大事なこと。それを放棄してまで撮る必要があるのかということ。撮られる側に寄り添うことがいかに大事か。誰でも気軽に撮れる時代になったからこそ立ち止まるべきこと。
家族からの重たすぎる期待が呪いとなり、大人になっても生きづらさを抱える主人公。
登場人物それぞれの哀しみが幾重にも重なる中、ラストシーンだけが希望だった。